2009年11月25日水曜日

意識について

即興演奏、どこへ向かうのか。向かいたいのか。
意識の向こう側か、あるいは意識の中心か。
演奏するにはどうしたって手に意識が向かってしまうんじゃないのかな?
楽器を使えない自分にはわからないが、無意識に手を自在に動かすってことが可能なものなのか。
演奏能力の向上によって意識の度合いはきっと下がっていくのだろうけれども、残っちゃうよな、きっと。
無意識の中へ入りたい思いと、しかし即興で他の演奏者を聞きながら意識的に演奏をしていく自分の意識の間で
苛立ったりするものなのだろうか。
昨日の山下洋輔はどんな意識の状態で演奏していたのだろうか。
見ている側からすると、ギターよりもピアノの方が無意識から遠い印象を持ってしまうのでこう思うのだけど。

ライブは最高だった。
矢部直のDJが入ることでベース(楽器ではないベース)の部分をリードすることで
山下洋輔も大友良英もより自由に演奏できていたように感じたし、DJ抜きの部分では狂った心地よいノイズを奏でてくれたし。
西村記人のパフォーマンス見てて思いましたよ。ライブペインティングの人もやっぱ背中向けて絵描いてるだけじゃなぁと。
for E.W.SAIDと最初に描いていた。最後の絵に描いた文字はわからなかったが。


しかるべきところにおさまっていることは重要ではなく、望ましくないとさえ思えるようになった。
あるべきところからはずれ、さ迷いつづけるのがよい。
決して本拠地などもたず、どのようなところでも自分の住まいにいるようの気持ちは持ちすぎない方がよいのだ


out of place

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