2009年11月24日火曜日

嫌いなもの1

本のカバーが大嫌いである。

そもそも何のためにあるのか、存在理由については考えることができても
存在価値については認める気にはとてもなれない。

高価な美術書や学術書、またはそれらに準ずるような大切にしたい本ならばわかる。

だけど、新書や文庫にカバーなんて要らないだろ、と思う。
新書や文庫だったら、本の内容以外に意味なんてないものでしょ、そもそも。
それにさらに本屋ではご丁寧に紙のカバーをつけてくれようとする。
さっぱり意味がわからない。
最近では凝ったデザインのブックカバーとかも売れているようだし、
本当に無駄な印刷物だと思う。

まあ、上記のことは後ずけの理由であって、一番の理由は
カバーがあったら本が読みにくくてしょうがないということである。
もしかしたら賛同してくれる人はそんなにいないのかもしれないが。

文庫とか新書だったら、本を読んでいるとき右手の親指の付け根あたりが表紙、
左手の親指の付け根あたりが裏表紙、親指の腹のあたりでページをめくり
左右どちらかの、あるいは両方の中指から小指のあたりで背表紙を持っているというのは
誰もそんなに変わらないと思うけれども、どうしたってカバーと本本体は微妙にずれてくるので
フラストレーションがたまってくる。

だから自分は本を買ったら、読む時はカバーは必ず外している。
捨てるのもゴミになるだけなので、捨てないが邪魔ではあるので
読み終わった本にはカバーをつけなおす。

他に本にカバーをかける理由はなんだろうか。
装釘にコストがかからないことであろうか。
カバーであれば一枚の紙に印刷するだけだろうが、
本の表紙の紙に凝った印刷やカラーで印刷するのは高くなりそうだな。

どこかの出版社がやってくれればいいのに。

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